第10回山形国際ムービーフェスティバル

日時:11/14(金)・15(土)・16(日)場所:シネマコンプレックスMOVIE ON やまがた

YMF REPORT

山形国際ムービーフェスティバル2014 ~才能よ、雪に埋もれるな。~
~映画と出会いの3日間~

YMFは今年でなんと10回目を迎えます。 会場には、これまでの歴史を飾ったパネルや歴代ポスターなどの展示も行われていました。
いろんな方がこの映画祭に来て、そしてたくさんの映画がここで上映されてきたんですね。
10回目となる今年、一体どんな映画祭になるのか楽しみです!

タイトル 歴代ポスター

■1日目

まず初めは、YMFの顔としてお馴染みのプレゼンターの菜葉菜さんも登場し、オープニングセレモニーが行われました。今年は記念すべき10回目となるYMF。
たくさんの招待作品、そしてレベルの高いノミネート作品、他にも様々なイベントが用意されています!ん~楽しみですね。


Bad Moon Rising

菜葉菜 Bad Moon Rising Bad Moon Rising

今年最初の上映は、喜多一郎監督作品「Bad Moon Rising」。YMFにも縁のある菅田俊さん、菜葉菜さん、結城貴史さんも出演しています。
YMFが開催すると必ず山形に来てくれる皆さん。 こうやって再会できるのは嬉しいです。
さて、上映後は会場にて舞台挨拶が行われました。

喜多監督) 僕がこれまで撮ってきた映画と一貫して、「人間再生」をテーマに製作しました。
これまで、色んな形で再生させてきたんですが、ただ再生するだけで、目標を失っては、本当の再生ではないな、と思いまして。
ちょっと今までと違った意味での再生の仕方を形にしてみたいな。と思い、 こういう形になりました。
やっぱり人と人とが出会うことで、いろんなものが形を変えていく。
そういう事を表現してみたかったんです。

司会) 今回が初の上映なんですよね?

喜多監督) そうなんです。 結城君も編集を手伝ってくれたんですけど、 先月の終わりくらいまでやっていました。
なので、出来立てのほやほやを今日上映しました。

司会) 出演者の皆さんは、いかがでしたか?
菅田さん) 撮影が12月、1月で、海に入るシーンがあるのですが、 ホントに寒くて死ぬ思いでした。
ホームセンターに暖を取りに行ったんですが、 しばらく倒れてましたよ(笑)

菜葉菜さん) 最初に本を読んだ時の自分の感情と、 現場に入ってからの気持ちと、
いろいろ自分の中で、何が自分の中で 納得できるものなのかな、と模索しながら演じていました。
菅田さんと一緒のことが多かったので、 菅田さんといる中で生まれた感情が出たのかな、と思います。
一緒にやってくれた共演者の皆さんに助けられてできたと思います。

菅田さん) 菜葉菜さんとやれて光栄です。山形映画祭のヒロインですから。
10年前から菜葉菜さんを見続けてきて、今回も感動しました。

結城さん) 今回の映画では、自由に監督がやらせてくれたので、 僕は本当に好きにやらせていただいて楽しかったですね。
菅田さんともこういう形で関われたこともなかったので、 楽しかったです。

瀬古さん) 台本を読んで、ものすごく考えたんですね。 でも実際に現場に行くと上手くいかないもので。
皆さんに引っ張ってもらいました。
結城さんの役が怖くて、ホントに泣いたんです(笑)

司会) それでは、最後に映画監督を志す若者たちにメッセージをいただけますか?

喜多監督) 僕自身、もともと映画監督を志していたわけではなく、 映画の世界に入ったのは40を超えてから。
志してから約10年。
自信を持って言えることは、 映画はやっぱり最高です。
映画は達成感が違います。
せっかく志したのなら、自分の持っているもの全てを出し切るまで、 頑張ってもらいたいなと思います。


SFホイップルーム

瀬々監督 瀬々監督

次の上映は瀬々敬久監督作品「SFホイップルーム」です。「SFホイップルーム」は瀬々監督作品の中でも非常に特徴的な作品。
これはぜひ話が聞きたい!この映画にどのような想いが込められているのでしょうか。

司会)今回、この作品を選ばれた理由は?

瀬々監督) 10年以上前に作った映画なんですけど、 この中でも、放射能汚染された村というのが出てくるんですが、
作るきっかけになったのは、チェルノブイリの原子力爆発があって、 立ち入り禁止区域にお年寄りが返っていくのをニュースで見たんですね。
そのとき彼らはワガママな人々と呼ばれていたんですけど、 ホントは入っちゃいけないところに入っていって、
自分たちの故郷に帰って、このまま死んでも構わん、というような人達。
それもちょっとモチーフのひとつになってまして、 実際に、日本でも3.11にそういうことが起こったりして、
じゃ、今この映画を観るとどういう感じかな、 と思ったのも理由の一つです。
まぁ、でも結構お笑いなんですけどね。 ふざけた映画なんで、それでやっすい映画です。
SFとタイトルつけてますけど、やっすい映画ですから。
皆さん唖然としないように。 SFとつけないと、SFと思ってくれないと思ってつけたんですね。(笑)
ここに出てくる人達は、ワラワラとしゃべりますが、 これはヘレン・ケラーの最初の言葉「water」から来てます。

司会) 瀬々監督は山形でも映画「ヘブンズストーリー」を製作されています

瀬々監督) 西蔵王牧場で撮影させてもらって、 やっぱり周りが山に囲まれていて、空が近い感じがするんですね。
神秘的な印象があるのが、僕の中の山形。
次は、来年またSFアクション映画を考えているので、 このムービーオンで見ていただければ幸いです。

■2日目


るろうに剣心

大友監督 大友監督

2日目のこの日、目玉の一つとしては、大友啓史監督の「るろうに剣心」三部作一挙上映!という他では体験できない機会がありました。
「るろうに剣心」、「るろうに剣心 京都大火編」、「るろうに剣心 伝説の最期編」が一気に観れるなんて、とっても幸せです!
皆さん、この「るろうに剣心」は山形にも縁がある映画ということをご存じでしたか?実は、撮影場所には山形の地も選ばれているんです。
大友監督のお話しを聞いてみましょう。

司会) 山形での撮影はいかがでしたか?

大友監督) 山形は、寒いというよりも、 空気が良くて引き締まる感じで良かったです。

司会) この映画はマンガが原作の作品でしたが、 製作する上で意識したことなどありますか?

大友監督) 原作は5000万部のメガヒットで、すごい人気のものですから。
実写化すると、まずはやはりその原作のお客さん達が来てくれますよね。 その人達に嫌われちゃだめですから。
マンガと映画は違うけど、マンガのファンが失望しないものにしなくちゃいけない。
だから原作者の方とも何度も打ち合わせしましたよ。
マンガはマンガ、映画は映画で違いはあるけれど、 互いに良さをリスペクトしながら進められたので良い形になったと思います。
どうしてもコスプレになってしまいますからね。
昔の人とは体系も何もかもが違うし、 何やっても今の日本人がやったら、コスプレになってしまうんだけど、
何とかしてコスプレにならないように衣装あわせやテストを重ねて、 マンガと実写の接点を探る努力を重ねました。

司会) 今回の撮影地で山形を選んだ理由は?

大友監督) 脚本書いている段階で、まずは庄内映画村で撮ることを決めていました。
それで、庄内に行くというつもりでいたんですが、せっかく行くので、 もう少し山形でも撮りたいなと思ったんです。
それで色々見て周ったんですが、想像以上に良いロケーションがたくさんあった。
それで広がっていきました。文翔館とかもそうですね。
「あそこで撮りたいから」という理由で、シーン自体の演出を少し変えたりもしましたよ。
山形がどんどん増えていった、というのが正直なところですね。
山形いいんですよね。 霊性を感じるというか、神秘性があるというか。
ちょっと違う生き物がいるような雰囲気。 使っていないもったいないところがたくさんあるんですよ。
それでも今回、随分撮らせていただきました。 また来ようかな、と思います。機会があれば。

司会) ぜひ映画監督を目指す若者達にメッセージを

大友監督) 僕自身がなにしろテレビ屋から来て、まだ4年で修行中ですからね。 でも、撮ってなんぼだと思いますよ。
いろんな思いはあるけど、現場に立って撮っていかないと話にならない。 監督という仕事は撮って残してなんぼです。
とにかく打席に立つ。バットを振り続ける機会を増やす。 それをどれくらい続けるかで、いろんなものが上達したりする。
頭でっかちにならないように。 やっぱり現場が面白いですよ。
ぐちゃぐちゃになりながら、わいわいやりながら、映画作りをするのが良いです。

探偵物語

村川監督 村川監督 村川監督

昔懐かしい作品を観れるのも映画祭の醍醐味!村川透監督の「探偵物語」の上映もありました。
今見ても色あせない素晴らしい作品ですね。山形出身の村川監督は、地元にアクトザールMというホールを建設しています。
この日は、応援団の皆様もいらしていました!
このアクトザールMでは、探偵物語はもちろん村川監督の今までの作品が全て観ることが出来るとか。
ぜひ皆さんも行ってみてください。
それでは村川監督の舞台挨拶です。

司会)いまこの作品をご覧になっていかがですか?

村川監督) 今から35年前。 ういういしく感じますね。町の風景や車の形も。
ああいう時代なので、いろいろ遊べるというのが面白い。
普通やらないことをやる、というのが我々の精神でした。 優作も若くて、破天荒なところがあったので、
すぐに僕らの提案に乗ってくるんですよ。アドリブも好きだしね。
みんなもう、面白い人が集まって、ハチャメチャなことをやっています。
当時は2本持ちで作るものだったんです。
1本は破天荒なものを作ると、2本目は非常にシリアスで、ロマンチックで泣けてくるフランス映画タッチのものを撮る。
あの時代でしか出来ないことを、やったのを覚えています。

司会)アクトザールMはどういう経緯でスタートしたのですか?
村川監督) 何か、出来ることが無いかな、と私の兄(村川千秋さん)と話していたんです。 何か残していかないと、と思ってね。
人間というのは、生まれたところの空気やにおいを忘れられないんです。 そこに何かを残したいと思ったんです。
兄は、オーケストラ・音楽の道を行きました。 私は、映像・映画だった。
私が作った作品は450本くらいあるんですけど、 すべてDVDに起こしてくれた方がいて、
このアクトザールでスクリーンで観れるという状況を作ろうということで、 実現したんですね。

司会)この映画祭は今年で10回目を迎えます

村川監督)10年前ですか。これをやりましょうと言って。 今年で10回目。
皆さんとこうやってお話ししたりするのは私の本当の喜びとするところです。
今回も応募作品を観ましたが、ものすごくいいものがありますよ。
レベルが非常にあがっていることに驚きました。
そして、10年という月日の力に改めて感じます。 でもこの10年というのは1から始まるんです。
私はこれからも、この映画祭も続けていきたいと思います。 走り続けます。

花のれん

花のれん 花のれん 花のれん

さらに今回は、よしもとクリエイティブエージェンシーさんとのコラボレーションも実現。
他では絶対に観ることが出来ない映画がやってきました。その名も「花のれん」。
非常に古いフィルムなので、映像が切れてしまう可能性もある…とある意味ドキドキヒヤヒヤの上映でもありましたが、
無事に全てを鑑賞することが出来ました。
こんなレアものをYMFで観ることが出来るなんて、映画祭って本当に素晴らしいです。
舞台挨拶では、株式会社よしもとデベロップメンツ東北ブロック代表の竹中功さんと山形の住みます落語家の笑福亭笑助さんが舞台挨拶に登場!

司会)ありがとうございました。映画のご感想はいかがですか?

竹中さん) 私も始めて観ました。 日本にフィルムがこれしか残っていないと聞きましたよ。
ホントにたった1つなんですね。 切れるかもしれない…ってドキドキしました。

笑助さん) フィルムが切れなくてよかったですね。

笑助さん) 映画の途中まで創業者の「ごりょんさん」という言葉が出てきましたが、 これは関西で社長夫人という意味なんです。
それが分からないと、この話入っていきにくかったかもしれないですね。
この「ごりょんさん」が金の亡者過ぎて、 大丈夫かと心配になりましたよ。笑
よしもとの株が下がるんじゃないかと思って。

司会) よしもと興業は1912年創業という歴史がありますね。

竹中さん) この映画は僕らの社史ですよね。 僕も今、よしもとの100年史を作っているんですよ。
今日もここにいる分、作業が遅れてます(笑)
まぁ金の亡者っているのは、フィクションですけど、 一番はお客さんを大事にする。そして一番は芸が好きやったんですね。
寄席が好きで芸人が好きやっていうのは、 うちも今、東京や大阪にたくさん劇場作らせてもらってますが、
やっぱり僕らも劇場が好きで、出てくださる芸人さんが好きで、 お客様が好きで、っていうのは変わってないですね。
100年経っても。
劇場で芸が育ち。新しいお客さんも育ってきた。 それが劇場なんです。
そういうのが見えましたね。 あんなスカスカな劇場で出番やったらどうすんの?

笑助さん) どうしましょうかね。 裸踊りでもするんでしょうね。

竹中さん) あの頃はホンマに話上手なおっさんなんていないんで、 ああいう色モノというか、雑芸ばっかりだったんですよ。
それで落語が本道で、うちらは本道じゃなかったんですね。 でも時代がそっちを求め出していったという歴史があるんです。
落語と安来節があって、その後が漫才だったんですよ。

司会) 竹中さんは山形にもよく来ていただいていますが、 山形の印象はいかがですか?

竹中さん) 僕は一生懸命ぼけるんですけど、 山形の人は突っ込みが弱いですね。 ぜひどんどん突っ込んでいきたい。
バカなことをたくさん言うんで、そんなアホかーって突っ込んでください。
今日は本当にこういう機会をつくってもらって感謝してます。
ありがとうございました。

笑助) 僕は、いまケーブルテレビ山形さんの番組で、 「ママを訪ねて三千軒」というのをやらしてもらってます。
後半は落語もしていますので、ぜひ見てください。

アニバーサリースペシャル

そして、ここからはメインイベントです。
記念すべき10年目ということで、「アニバーサリースペシャル」と題した 特別プログラムでお届けします!

アニバーサリースペシャル アニバーサリースペシャル

まずは市民ワークショップで生まれた映像作品の発表!
今回、監修を務めていただいたのは、東北芸術工科大学映像学科教授の前田哲監督です。
地元の学生や県民の皆様が一緒に映画作りを行い、とても素晴らしい作品になっていました。
このレポートで映像をお見せできないのが残念です。

そして、YMFの10年の歴史を振り返る記念映像の上映が行われ、 特別プログラム「YMFゲストトークセッション」の始まりです!
参加ゲストは、ヤン・ヨンヒ監督、大友啓史監督、瀬々敬久監督、前田哲監督の4名。
そしてファシリテーターは吉村和文運営委員長が担います。
皆さん、こだわりを持ち、それぞれ想いの強い人達が集まっています。果たしてどんなトークセッションになるのでしょうか…!?

アニバーサリースペシャル アニバーサリースペシャル アニバーサリースペシャル

吉村運営委員長) ずばり皆さん、映画とは何か? を応えてもらおうと思います。
映画を通して伝え続けていくとは、 どういうことなのだろう。
自分と映画。自分を突き動かすもの。 そういったものはありますか?

前田監督) そうですね。 僕は、東北芸術工科大学で学生たちに指導しているんですが、
映画というものを通して、 学生に人とのコミュニケーションを学んでもらう。
そのアイテムとして映画作りはすごくいいんじゃないか と思って指導し始めたんです。
人とどう関わっていくのか。
相性の悪い人もいれば、苦手な相手もいる。
社会に出ると、そういう人と接していかなければなりません。 社会に出て困らないための訓練にもなるな、と。

吉村運営委員長) 前田先生ご自身が、動物を表題として使っているのには 何かこだわりがあるんですか?

前田監督) こんなことを言うのは申し訳ないのですが、 動物と子供は難儀とすると言われているんです。
僕の場合は、これが助監督の時から得意だったので。
それと、人がやらないことをやる。というのもあります。 もちろんそこには色んなテーマ性は含んではいますが。

吉村運営委員長) 瀬々監督は時代を先読みした作品も多いですね。
それとは別に、自分がどうしても撮りたい!というような 強いこだわりを感じるような作品もあります。
一番の核心部分はどこにあるのでしょう?

瀬々監督) テーマということにこだわってはいないが、 映画は僕にとっての仕事なんです。
活動して、世の中と触れ合ったりしないと楽しくない。
それが僕らの場合は、映画で、 それが無いと死んでいるような状態。
それがライフワークとしてのベース。 与えられるジョブではなくね。
幸福なことではあるんですよ、もちろん。
僕が高校生のころ、時代が変化してきて、 自主映画の映画監督が本編を取れるようになったんです。
既成のものを壊していくということが起こった。 僕らにとってのヒーローだったんですね。
映像というのは、規制がないですよ。 映像である限り、平等だ。そう思います。

吉村運営委員長) 4時間の長編映画なども撮られてますよね?

瀬々監督) 長いと言えば、「るろうに剣心」全部合わせるとそっちの方が長いですよ?笑
振り子の原理と同じで、バランスを取らないと表現できない部分があるんです。

吉村運営委員長) 大友監督はいかがでしょうか?

大友監督) 僕は今、映画で言うと遅れてきた新人なんですね。
ずっとテレビ屋としてプライドを持ってやってきて、
ある日ふと、いろんな作品を観て、映画はやっぱり自由だな、 と思うことがあったんですよ。
例えば、テレビは音の伝送形態ひとつとっても、こんなに音の幅がないんです。
放送する時には、作りたい音が届かない。
というときに、 劇場で作品を流す機会があって、 その時が、ものすごく気持ちよかった。
チャンネル変えたりされないし。
もちろん色んな理由があるんだけど、 チャンネルを変えられたり流してみられたりするのは、
ぞんざいに扱われている気がしてしまうんです。
自分の見せたいものがちゃんと届かない。
「テレビドラマの脚本は、ラジオドラマと同じ文法で作りなさい。」 と言われているんです。
これは、テレビは流し見をされるということが 前提で考えられている。
映像の隅々まで気を配って作っているのに、 「なんだよ」と思うときがあった。
例えばある作品で、 フレームの中に扇風機がうつったりしてた。
そんなの誰も気にしないから、とその時は突っ走ってしまったけど、 確実にこの大画面でみたら、お客さんわかりますよ。笑
この大画面で、息をひそめて集中してみてもらえる。 これが非常に新鮮でしたね。
1本1本、新人みたいな気持ちに戻って楽しくやらせてもらっています。

吉村運営委員長) ヤン・ヨンヒ監督にお聞きします。 監督にとって映画とは何か?
映画は一つの表現手段なんですよね?

ヤン・ヨンヒ監督) 映画は何かを分からないから、 まだ作っているんだと思うんですね。
私は子供のころから映画が好きで、 民族学校の衣装のまま。学校帰りに映画館に駆け込んでいました。
映画館は学校以上の学校だった。 それは、こんな人がいるのか、こんなことがあるのか。
人間はここまで残酷で、ここまで優しくて… そんなことを全部教えてくれる場所でした。
歴史の授業は映画を楽しむための 下地だったんじゃないか、と思うくらい。

それで、 今まで、感動させてもらいっぱなしだったので、 人の心を動かしてみたいな、と思うようになったんですね。
私は助監督も経てなくて、 専門的に映画をどう作る、というか、監督になるため訓練を受けて ここにいるわけではないです。
そういうコンプレックスももちろんあるんですが だからこそオリジナリティーを突き詰めていきたいと思っています。

今まで、たくさんの映画が自分にいろんなものを与えてくれたので、 それに対する返信、というような。
たくさんいただいたので、私からの話はこれです。 という感じですね。

吉村運営委員長) 皆さん、ありがとうございました。 漠然とした「映画とは何か」 こんな質問にしっかり答えていただきありがとうございます。
実はこういう質問に対するところに本質があったりするので あえて質問させていただきました。
さて、では次は、 これからはどういう映画を撮っていきたいか。
そんな話を聞いていきたいと思います。

前田監督) どういう形態の映画であっても 自分の中には切実なるものがある と思っているんですよ。
それが無いと中々作るのは難しい。
こういうつもりでした、ああいうつもりでした と言わざるを得ない状況もあるんですが、
届かなきゃ意味がないですよね。 伝えれるかどうか。
どのイルカだろうがブタだろうがサルだろうが 全部一貫してその切実なるものというのがあります。
言葉にすると陳腐なんですけどね

吉村運営委員長)次に撮るならどんな作品か。イメージはありますか?
前田監督) これまでは可愛いものを作ってきたものですから、 残酷なものを作ってみたいな、と考えています。
人生って残酷なんだなー、って最近やっと気づいたので(笑)
今のこういう質問を受ける状況も残酷です(笑)

吉村運営院長)瀬々監督はいかがでしょうか?

瀬々監督) 3.11が起こったとき、僕は「アントキノイノチ」を撮影していたときなんですね。
町田の団地で撮影してたんですが、 モニターを見ていると、出演者が「揺れてない!?ヤバいよ!」って気づいたんです。
その時、僕らがああいう大変な日でも 中止にせず全部撮影したんですが、
キャストもスタッフもみんな不安がるんですよね。
こんな非常時に映画をとっていいのか。
映画って下手すると なくてもいいものだったりする。
それは水とかに比べればね。
「戦争と戦争の間に平和がある」 という言葉があるんですが、僕はそれが今まで分からなかった。
でも最近それを感じることがあった。
避難所なんかに行くとね、 そこで70歳のおばあちゃん同士に新たな出会いがあったり、
別れがあったりするんですよ。
非常時をどう生きるか。 その中にも色んな喜びや悲しみがあるんだということ。
みんな基本的に右肩思考じゃないですか。
この映画祭も2011年にやったっていうのは すごいことだと思いますよ。
映画はなくても良いものなんだけど、大事なものなんです。

吉村運営委員長) 大友監督は今後どういうものを撮りたいですか?

大友監督) 僕は会社に縛られなくなったから、やりたいこといっぱいありますよ。
でもね、一方で、自分の撮りたいもの撮っていいのか、 という不思議な感覚があるんです。
やっぱり僕、ドキュメンタリーから入っているんですね。
ドキュメンタリーを撮るときって、 若造なりに構成とか作って、現場に入って、
そしていろんな裏切られることが起こったりするんです。
自分がやろうとしたことが分かった時に、 全然面白くなくなってしまう、 という非常に難しい性格なんですよ。
自分の企画が通るようになったというのも、 居心地が悪くなったんですよね。
俺をどう料理してくれるんだ世の中は。なんて気持ちも本当はあるんです。
現在進行していることに、どこかでコンプレックスがある。ということですかね。
3.11だと、僕は地元が岩手ですし、 会社もやめてしまったし。あとに引けないけど、これやばいよね、ってなって。
そのときにシンプルに思いました。 要らないことやろうとしているぞと、
エンターテイメントより、 今やるべきことは被災地にいって、ボランティアしながらカメラ回せ、と ドキュメンタリーになじんだ体はそう思っちゃうんです。
そして、何かきっと、 俺のつまんない頭のなかで考えていることより ビックリするような出来事がいっぱいあるぞ、と
それを如何に捕まえるか、ということを思いながらも、 でも俺は食っていかなきゃいけないから、
そのときに、 成立するかしないか分からない、 るろうに剣心の脚本を書くしかないんですよ。
だから、自分がどこに向かうか、というのは すごく甘いんですけど、分からないでいたい。笑
自分の人生を含めて、 映画監督になりたいと思ったことはなかった。
映画で助けられたことはたくさんあったが 高校生の僕も、大学生の僕も、NHKをやめる3年前の僕も 想像してなかったですからね。
意識しようとしているのは、 自分に降ってわいた出来事を どうやってアウトプットにつなげていくか。
やっぱり伝わらないといけないので、 それは大事にしたいと思っています。

吉村運営委員長) ヤン監督はどう思いますか?

ヤン・ヨンヒ監督) 今は1人で映画が撮れちゃう時代ですからね。
ケータイで撮った映像で、喫茶店でパソコンで映画が作れちゃいますからね。
じゃあどういうのを残すのか、何を作るのか それが問われる時代に来ていると思います。
震災のとき、私は「かぞくのくに」を準備している真っ只中でした。 これ逃したら、企画が流れると思って撮っていましたね。
でも、こういう非常時に映画を撮るってどういうことだと 自問自答した時期ももちろんありました。
それに私の場合は、ドキュメンタリーで自分の家族を題材にしているので、 家族に迷惑をかけてまで、何をやりたいんだお前は、 と思ったこと何度もありました。
作った数はひとつひとつ増えているのに、 作りたい数も、どっと増えている。
厚かましいなと思いつつも、嬉しいです。
私なんかが映画監督とか呼ばれちゃっていいの、 と思ったりもしますけど、
ここまでチャンスを与えてくれるんなら、 もう少し踏ん張ってみよう。 そう思っています。

吉村運営委員長) 最後に皆さんにお聞きします。 映画祭とは?
そしてここには若き映画監督たちが来ています。 彼らへのメッセージもお願いします。

前田監督) 「才能よ、雪に埋もれるな。」これコピーがいいですよね。 まさにこういうことだな、と思いますよ。
僕は、芸工大にきて5年が過ぎたんですが、 3年くらいはこの映画祭の存在を知らなかったんです。
もっと世に、世間に知ってもらうべき映画祭だと思いました。
こういうことを東北でやる、山形でやるっていうのが 素晴らしいと思います。
僕も映画は自由、映像全般ですが 何をやっても許される世界と思っています。
嫌いな人がいたら、映像の中でやっつけてやるとか、 好きな子がいたら、ストーリーの中で手をつながせるとか。
そんなすごい素敵な世界に携われるということ。
だから、自分の思うように作ってもらいたい。
自由なので、何にとらわれることは無いんじゃないかなと思うんです。
学生達にもよく言うんですが、 上手に作らないで、といつも言っているんですね。
小手先でまとまっているものなんて、全く面白くない。
パッションとか情熱とか、切実なるものなのかもしれないが、 そういうものが見たいんです。

瀬々監督) 映画祭にはそれぞれ特色があるので、 映画祭はコレだという言葉は無いんですが、
山形国際ムービーフェスティバルは、とても良い映画祭だと思いますよ。
僕の実家の集落は、そのうち無くなってしまうだろうと思っています。 いま地方は、地方だけでは生きていけなくなっています。
地方も都会も交流し合って、互いに手を取り合って生きていけばもっとよくなる時代。
そういう意味でも映画祭で、映画を通して交流が生まれるというのは、 素敵だと思います。

大友監督) 僕も「才能よ、雪に埋もれるな。」というコピーが好きなんです。 というか、凄いな!と思って。
映画祭は地域おこしみたいなこともあるんでしょうけど、 自分達の場所で作れる人を育てていく、というのは シンプルに応援したいな、と。
応援と言うと上から目線になってしまいますが、 本当にそこはちゃんとキャッチボールしていきたいな。と思いますよ。
僕も岩手で、雪に埋もれてきた人間なんでね。
ロスで脚本書くのと、雪の中で押し込められて脚本書いてるのとでは、 気分って全然違うんですよ。
表現することの怖さ、意見表明していくことの怖さ。ってありますよね。
でも日常的に、なにか意見表明していくことは作る上では必要なことだと思います。
テレビ番組やってたころは、必ずWEBサイトをチェックして、 みんなの声を聴いてましたからね。
そこで、分かってくれてる人は、今すぐにでもその人のところに行って握手したいと思うんだけど、
逆に全然トンチンカンな意見を行っている人には、ぶっ飛ばしたい気持ちになったりしてました。
でも本気でやっているうちにそんな気分になっていくんですよ。
理解されない悔しさと、受け入れられたときのうれしさ。 これは常にありますね。
映画って非日常だけど、 この非日常的な行為をいかに日常的につないでいくか。
現場は面白いですよ。作っていくのは面白いんです。

ヤン・ヨンヒ監督) 映画祭とは、出会いだし、ゆりかごだし、故郷だと思っています。
この映画祭レッドカーペットないですよね。 いいですね。
映画祭はカーペットではないと思います。
終わった後に、ぶっちゃけトークがどこまで行われて、ひとりひとりがぶつけあいながら、 そこで次のものがふわふわ生まれてくる。
今日ノミネートされた皆さんにお願いしたいのは、次の作品が出来たら、この映画祭にまた報告に来て欲しいということです。
そして、映画祭の関係者の皆さんは、ぜひ「その後どうしているの?作ってるの?」って声をかけて欲しい。
私もそういう経験がありますが、声をかけていただけると物凄く嬉しいんです。
普段の映画館ではなかなか得られない特別な瞬間がこの数日に 生まれていると思います。
誰でも映画を作れる時代になったと言いましたが、 だからこそ、スクリーンに対して謙虚であるべきだな、と最近すごく思います。
スクリーンの怖さ。ばれちゃう。 作り手の深さ、それに知性、浅はかさとか全部出ちゃう。
映画祭と通して、いろんな人と気持ちをシェアして欲しいなと思います。

表彰式

表彰式 表彰式 表彰式

大盛況のトークセッションも終わり、いよいよ表彰式が行われます!
今回ノミネートされた10作品は、どれも素晴らしく熱意が伝わってくる作品ばかりでした。

そして、いよいよ表彰式です。 今回の作品はどれもクオリティが非常に高く、熱意ある作品だと評価されています。
昨年、選考委員長の村川透監督はこう言っていました。 「ハチャメチャでもいい。縮こまらないで、もっと思い切った作品を観たい!」
そして今年、YMFでは数年ぶりとなるグランプリ作品が出ました! ※受賞結果はコチラをご覧ください。 グランプリは山本亜希監督作品「ネクタイと壁」。全員一致のグランプリだったそうです。

レセプションパーティ

レセプションパーティ レセプションパーティ レセプションパーティ

この日最後は、参加者全員で交流を深めるパーティーを開催。
ゲストの方々、第1線で活躍する映画監督の皆様、そしてノミネート監督、会場にお越しの映画ファンの皆様と、同じ場所で親睦を深めます。
こうやって映画に携わる人々が、山形の場所で交わる瞬間。この体験から新たな物語が生まれていきます。
皆さん、今年はどんな夢を語り合ったのでしょうか?

■3日目


ドルフィンブルー

前田監督 松山ケンイチ ドルフィンブルー

YMF最終日。この日もスペシャルゲストが登場します!
前田哲監督作品「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ」の上映が行われました。
この映画のモデルとなったイルカの「フジ」は、11月1日に惜しまれながら他界したというニュースがあったばかり。
この日の上映は追悼上映となりました。
上映終了後、前田哲監督による舞台挨拶が行われました。なんとサプライズゲストとして松山ケンイチさんもご参加いただきました。

司会)これは2007年の作品ですね。今回どうしてこの作品を選ばれたんですか?

前田監督) ふと、そのときに松山さんの顔を思い出して。(笑)
僕の中では、もっといろんな人に見てもらいたかった作品なんです。
フジって不思議なイルカでスタッフも出演者も すごく影響を受けた映画だったので。

司会)松山さんは、この映画、7年ぶりに観てどうでしたか?

松山さん) これをきっかけに、自分は動物のことがものすごく好きになったし、
いろんな役者さんの役に対するアプローチを側で観ていて、勉強になりましたね。
一か月沖縄にいて、ずっとその撮影だけに集中する。 そういうことの良さも実感しました。はじめてのことばっかりだった。
飼育員とトビウオのヒレを切ったり。
飼育員の人と何日か仕事をさせてもらったんですけど、 ホントに大変なんですよね。日焼けもしますし。
今ある状況にもどんどん焦りを覚えていくし、 他の出演者の演技も皆すごいから、悩みました。
今思うと、それが自分をレベルアップさせてもらったんだなと思います。 出させていただけて良かった。
フジにも出会えてよかった。
飼育員の皆さんにも出会えたことがすごく大きかったです。

前田監督) 他の出演者は、1か月前くらいから入って、飼育員に交ざって練習してたんですよ。
そのうちスタッフも分からないくらい馴染んでましたね。
松山くんだけは役と同じように2、3日前くらいから入ってもらったんですけど、
そのあたりから演出が入ってるんですけどね。はっはっは!
この撮影に入る前、松山さんは動物が苦手だったんですよ。 しかも泳げなかったんです。

松山さん) 自分の対極にあるような役でしたよね。
でも、そういうのに挑戦するのは大事なことだと思いました。
仕事だとやらなきゃいけないですからね。
怖くても飛び込むしかない。イルカ苦手でもイルカと泳がなくちゃいけない。
でもそうやっているうちに、だんだん楽しくなってくるんです。

観客からの質問) 以前、雑誌の対談で、フジと話ができるようになったと書いていましたが、
今でもイルカの言葉は覚えていますか?

前田監督) 本当に、撮影終わったときに、イルカの言葉わかったって言ってて、
ここから撮影したいな、って思いましたよ。

松山さん) フジだけでなく、いろんなイルカがいて、 話したっていうのではないですけど、
触れ合いのなかで、今こうして欲しいんだな、 これして欲しくないんだな。というのが分かるようになったんです。
みんな来てくれるようになったんだけど、 フジだけは最後でしたね。ホントにビッグマザーなので。
「あなたは、まだ小僧よ」みたいな感じでした。
でも最後には近づいてきてくれました。
今年も行ったんですけど、
他のイルカはあんなに仲良くしてたのに 今あっても全然知らんぷりするんです。
でも、フジと会うと多分まだ覚えてくれてるみたいなんですね。

前田監督) 僕は最初にフジにあったときに、まだシナハンの段階でしたが、
「これから撮影するんでよろしくお願いします。」って言ったら、 お腹を見せて、コクンと頷いてくれたんですよ。
でも本当にフジは女優と言われてて、
今日は、病気になって浮いてるだけのシーンだよ っていうと、本当にしんどそうにに浮かんだりするんですよ。

観客からの質問) 先日、フジが亡くなってしまったニュースが流れましたが、 フジとの1番のエピソードを教えてもらえないでしょうか?
それに、前もって役に入るときに、獣医の勉強などはされたのですか?

松山さん) その当時は、どんな風に役にアプローチすればいいか というのが定まってなかったんです。
何をすればいいのか分からなかった。
モデルになった先生も現場についてくださったので。 とりあえず言われたこと、やってることを出来るようにしようと努力しました。
フジは、その話を聞いたときに、 こんなに時間が経っているにも関わらず 冷静に受け止められなかったです。
自分の中に、何かなくした感覚。
随分昔の話なんだけど、 やっぱり自分の中にあるものなんだな。と思いました。
僕は今でも、飼育員の皆さんと連絡を取ったりしているんですけど、 フジは自分にとっては生きがいという人もいましたし、
これからの人生で、自分たちの背中を押してくれる存在。という人もいました。
それを聞いて、自分にとってもそうだと思いました。
器の凄く大きな人っていますが、 それよりも、もっともっと大きい存在。
超越している存在ですね。

司会)今回は追悼上映という形になりました。

前田監督) 僕らの中にフジは生き続けているので、 これからも支えになってくれます。
彼女の人生そのものが凄いことを乗り越えていますから。

司会)最後に会場の皆さんにメッセージをお願いします。

松山さん) 僕自身、今回の映画祭に参加させていただくのは初めてで、
以前上映された作品がスクリーンで上映されるというのは なかなかないので、楽しかったですし、いい経験でした。
自分自身、東北の人間ですから、どっかでこう「都会なんて」と 思っているところがあるんですよね。
そういう田舎の人間はどっかで同じ気持ちの部分があると思う。
また、新しい作品を持ってここにきたいな、と思います。

前田監督) 本当に10周年おめでとうございます。
僕は13年くらい前から映画を作っているんですが、 その間、一回もこの映画祭に呼ばれなかったなー(笑)
これからも呼ばれ続けるように頑張りたいと思います。

闇の子供たち

阪本監督 阪本監督

最終日2本目は、阪本順治監督の「闇の子供たち」を上映。
こちらも当時話題を呼んだ作品です。
この映画に、どんなメッセージが込められているのか、監督ご本人にお話しを伺います。

司会)阪本監督は去年もこの映画祭に参加いただきました

阪本監督) 映画祭もそうですが。
僕らの場合、続けていく、ということが大変で、 それでマンネリにならないようにしないといけないし。
10回目を迎えられて、おめでとうございます。
さらに発展していただいて、 僕も作品と共に呼んでもらえるように頑張らないといけないな、と思っています。

司会) 2008年の作品。この作品は海外でも非常に話題になりました。

阪本監督) 多少悩んだんですけど、 政治的なことを言うつもりはないんですけど、
株価とかアベノミクスとか、そういう時代に、 日本人の教示を声高に求められているが、
一方でね、経済文化が発展した中で、 貧しい国に行って、こういうことをしている輩はいっぱいいると。
いろいろ調べて見たりすると、現実にそういう人たちがいるんです。
原作だけでなく、もう一度調査して、発見したことを脚本に取り込みました。
臓器売買についても触れていますが、
上映中にもこんなことはありえないと叩かれましたけど、 映画に出てくるような日本の家族の事実はありません。
これはフィクションです。
なぜこういう設定にしたかと言うと、 今はもう臓器移植法は改正されましたが、
改正前は、15歳未満は日本では臓器移植できなかった。
それは遺言法があったからです。15歳未満は遺言を残しても認められない。
そうやって切羽つまったときに、日本の家族はどうするか。
一つの方法としてはたくさん寄付を集めて、 アメリカとかドイツに行って手術する。
でもそれは、例えば、自国の子供がドナーを待っているときに、 他国の人間が登録されるということになりますよね。
そんなケースになったとき、 じゃあ、外国がもし受け入れない。そういうことが起こり得るんじゃないか。
そんな状況下では何が起こるのか。 そういう究極のフィクションなんです。
宣伝で、「これは真実だ」というキャッチフレーズでいってしまったので、 バッシングを含めて、物議を醸した作品です。
あの頃から時間が経って、法律も変わって、 もう一度皆さんに見てもらいたかった。

観客からの質問) 撮影中、一番苦労した点は何ですか?

阪本監督) 一番神経を使ったのは、子役たちに対する対処ですね。
オーディションをして、頭のいい子を選ばなきゃいけないんですよ。
あくまで役である。ということをちゃんと理解させなければいけない。
「これは映画であって、役者であって、他人を演じるんだよ。」
それをオーディションの時も言って、選別したときも言って、 撮影の時も、ライトを消してもう一回それを言うんです。
それと、子どもたちの体に触れるのは女性スタッフだけに徹底したり。
大人の裸は1度も見せないようにしました。 そういう撮影の連続なんですよ。
子どもたちも頭が良いので、同じことを毎回言っていると、 「それわかってるから早くやってよ」って言われたりもして。
そうは言いますが、 この子たちを虐待してるんじゃないか、 と思うときもありましたね。
僕自身もある日、全く声が出なくなって病院に運ばれたこともありました。

司会) 今日ご覧になった会場の皆様に一言お願いいたします。

阪本監督) タイトルは「闇の子供たち」ですが、 本当に問題あるのは闇の大人たち。
悪い意味で、忘れられない場面もあると思いますけど、 それでも持ち帰ってもらって、考えていただければと思います。

アゲイン

大森監督 大森監督

最後の上映は、大森寿美男監督作品「アゲイン 28年目の甲子園」。
この映画は、2015年1月17日(土)公開予定の作品です。
なんと今回、YMFでは特別先行上映することになりました!今はまだ11月!
これも映画祭ならではの貴重な体験です。会場はいっぱいになり、上映終了後は感動作に心を打たれ涙する人も…。
舞台挨拶も行われました。大森監督のお話しを聞いてみましょう。

司会) この映画が出来るきっかけ。脚本も書かれていますが、 大切にしたことなど教えてください。

大森監督) この映画は、マスターズ甲子園大会という実際の大会があって、 大会関係者の夢として、監督・脚本をやってくれと託されたものなんです。
それで、この企画に参加しました。
大人がもう一回甲子園を目指すという大会ですから、 ガムシャラにやって、白球を追いかけるというのじゃないだろう。
そう思って、グラウンドに立つまでのストーリーや遍歴を大事にしました。
弱いチームが結束して勝ち上がるスポ根ではなく、 ドラマを中心にして描こうということですね。

司会) 「夢のつづき」浜田省吾さんの10年ぶりの新曲です。

大森監督) 浜田さんは、こういう映画などに楽曲提供するようなことはないそうですけど、
マスターズ甲子園で自分の曲が使われている、というのも知っていて、 思い入れもあったみたいで、協力してくれました。
我々が映画として、投げたボールを 浜田さんが受け取ってくれて、投げ返してくれた曲なんだと思います。

司会) 撮影中のエピソードなどお聞かせください。

大森監督) 野球に関しては、みなさん楽しんでやられていたと思います。
マスターズ甲子園の本当の現場の雰囲気が出来上がっていた。
役者の皆さんはさすが凄いな、と思いましたよ。 いま現場で一番何が大事かが分かっている。

司会) 監督も野球が大好きだとお聞きしました。
甲子園で撮影してみていかがですか?

大森監督) オーラがありますよね。
特別な地だな。染み込んでいる感じがする。
我々の中にも聖地のような場所がそれぞれあると思いますが、 そういうものを感じさせてくれる場所ですね。

司会) 被災地や仮設住宅なども印象的な映画でしたが

大森監督) この映画のテーマのひとつは、“記憶との向き合い”です。
自分の記憶の中にある大事な思いをもう一度強く感じることで、 今の自分や未来の自分につながっていく。
取り戻すことは出来ないかもしれないけれど、 過去の自分とつながることで、未来を作っていく。
悲しい記憶や辛い記憶の中にも、記憶の温もりってあると思うんですよね。
そういうことを大事にするということも生きる上で貴重なんだ ということをこの映画で描きたかったんです。

司会)最後に会場の皆さんに一言頂戴できますか?

大森監督) これは野球が見どころの一つでもありますけど、
それだけじゃなく、人と人との繋がりの妙であったり、 そこから生まれる思いとか、そういうものを描いている。
また、キャッチボールの映画でもあるので、 胸に届いたというお客さんがいられましたら、
大切な誰かに投げていただければ嬉しいです。
来年公開されたら、またぜひアゲインしてください。

フィナーレ

そして、いよいよフィナーレです。
最後の時間を締めくくるのは、アーティストの優河さんによるスペシャルライブ。
昨年も歌っていただいた優河さんです。透きとおり、体全体にしみわたる歌声が会場を包んでいきます。

優河

こうして、第10回山形国際ムービーフェスティバルは幕を閉じました。
10回続いた映画祭、今後はどんな進化を見せていくのか楽しみですね。
また新たな才能と出会えることを期待して、来年の第11回目の開催を待ちましょう!
「才能よ、雪に埋もれるな。」
まだ芽は出たばかり。これからです。
映画の街“山形”として、もっともっと魅力的な映画祭にしていきたいと思います。
ここには才能と情熱がいっぱいです。
映画が好きな人も、家族で遊びに行きたい人も、新しい出会いを求めている人も、 ぜひこの映画祭に遊びにきてみてください。
この体験があなたに新しい感動をプレゼントできるはずです。
それではまた来年お会いしましょう。

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